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大会の歴史 |
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海の安全祈願祭で打上げられた花火 | ![]() 西防波堤から観た1号埠頭の花火(写真上) |
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いわき花火大会のはじまりとなったのは、昭和29年に開催された第1回磐城市港まつりだと言われてます。この年、当時の小名浜町・江名町・泉町・渡辺村が合併して磐城市となり、その誕生を記念して港まつりが開催されました。 まつりの内容は海の安全祈願祭や陸上パレードなどで、中でもパレードは年々華やかになり、自衛隊の音楽隊パレードや航空自衛隊によるジェット機飛来などが行なわれた年もあったそうです。当時は皇太子・妃殿下がご成婚なれて間もない頃で、お二人が出席された全国放魚祭も行なわれました。 港まつりの中で、海の安全祈願祭などで花火が打上げられました。この当時は、総予算50万円という規模のものでしたが、これをきっかけに、その後少しずつ形を変えながら、現在のような花火大会へと受け継がれてきたのです。 |
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小名浜の名前を広めた全国花火競技大会 |
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いわき花火大会のはじまりとなったのは、昭和29年に開催された第1回磐城市港まつりだと言われてます。この年、当時の小名浜町・江名町・泉町・渡辺村が合併して磐城市となり、その誕生を記念して港まつりが開催されました。 まつりの内容は海の安全祈願祭や陸上パレードなどで、中でもパレードは年々華やかになり、自衛隊の音楽隊パレードや航空自衛隊によるジェット機飛来などが行なわれた年もあったそうです。当時は皇太子・妃殿下がご成婚なれて間もない頃で、お二人が出席された全国放魚祭も行なわれました。 港まつりの中で、海の安全祈願祭などで花火が打上げられました。この当時は、総予算50万円という規模のものでしたが、これをきっかけに、その後少しずつ形を変えながら、現在のような花火大会へと受け継がれてきたのです。 |
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花火と音楽をシンクロさせた創作花火 |
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こうして本格的に始まった小名浜の全国花火競技大会は、第1回から第3回までは当時の小名浜海水浴場で開催、その後、三崎公園で第6回まで開催しました。第7回以降は小名浜港沖防波堤にて開催されています。 競技花火が中心だった花火大会ですが、平成9年頃になると、尺玉に加え、全国に先駆けて花火と音楽をシンクロさせた創作花火がメインとなりました。音楽に合わせて次々と夜空に花が咲き、港の夜をより華麗に彩る様子が訪れた観客を魅了します。この年から大会名も全国花火競技大会から『小名浜ミュウ花火大会』となり、平成16年からは『いわき小名浜港花火大会』、そして平成22年から現在の『いわき花火大会』となりました。 |
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市民の手による真夏の夜の風物詩 |
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いわきの夏を彩る、いわき花火大会は、行政主体ではなく、市民が実行委員会を組織し、協賛企業を募って準備を進めています。全国的に見ても、市民が主催する大規模な花火大会は珍しいようです。 現在のプログラムは、創作花火、市民花火で構成されています。 市民花火とは、家族や友人同士など個人・団体を問わず、慶事の記念や宣伝など思い思いのメッセージを込めて日本伝統の尺玉などの大玉を打上げる花火です。 実行委員会をはじめ、「花火が大好き」という人々の熱い気持ちが、夏の夜の美しく大きな花を咲かせているのです。 |
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